自己紹介(レベロ)

ハロー!はじめまして、レベロです。

この度、MarketPassのメンバーに選出いただき、これから記事を色々と書かせていただきます!

さっそく軽く僕の自己紹介なんですが、

僕は、旧帝国大学を卒業後、日系の金融機関に勤めています。

現在は、まだ入社1年目ですが、サラリーマンとしてのキャリアに絶望し、FIREに憧れながらゆるく働いています笑

第1弾の記事ということで、僕の社会人になるまでの半生についてざっくりと書くことにしました。

この記事をきっかけに、僕のことを少しでも知っていただけるとうれしいです!

幼少期

(イメージ画像)

僕は、一般的なサラリーマンの父と教師の母の子として、両親の地元の田舎に生まれました。

祖父母の家が近く、両親が共働きということもあって祖父母の家庭に面倒を見てもらうことが多かったです。

幼稚園児の頃は、基本的に公園や空地、砂場で友達と遊んだりするなど外で活発的に遊ぶ子でした。

一方で、世界や日本の地図、宇宙や恐竜などの図鑑を覚えることが好きで、一日中家にこもっているなど、インドアな一面もありました。

小学校時代

地元の公立小学校へ入学することになります。小学校低学年の頃から習い事はたくさんやりました。

野球、サッカー、陸上、バスケ、テニス、水泳、書道、ピアノ等々たくさんの習い事をさせてもらった一方で、英会話教室や学習塾などの習い事はやりませんでした。

いろいろな運動クラブに所属していたおかげもあり、運動神経は人並み以上に鍛えられました。また、勉強に関しても公立小学校の中ではできる方でした。

お金持ちでは決してなかったですが、このようにやりたいことを好きなだけできる環境を作ってくれた子ども想いの両親には、本当に感謝しかないですね。

中学時代

中学校も受験はせずに、地元の公立中学校へ進学します。

というのも、田舎だったので、中学受験が一般的でなく、ほとんどの生徒が地元の公立中学へ進学することが当たり前だったためです。中学受験の壮絶さを知ったのも、大学に入学してからです。

僕が中学校に入ってからまず迷ったのが、部活動選びでした。小学生の頃は、様々な運動クラブを掛け持ちしていましたが、中学生になると、時間の関係からも1つに絞らなくてはいけませんでした。

散々迷った挙げ句、陸上部に入ることに決めました。理由は主に、自分が勝てそうなフィールドだったからです。これが人生の転機の1つになります。

この中学には、県内の陸上部界隈で有名な顧問がおり、毎日しごかれました。

朝練、昼練、夜練。休みは毎週1日あるかどうか。他の部活動と比べて明らかにおかしい練習量。熱血漫画にでてくるような顧問。今思っても、この練習量は異常で、本当に地獄でした。笑

ゆるゆるサラリーマンの今は絶対にマネできない。

このようなスパルタ環境のおかげと運もあり、中学2年生から急激に成長し、中学3年の頃には、全国大会まで出場できました。

この中学校の部活生活では、今の時代に行ったら問題になるような理不尽もたくさんされましたが、必死に努力し、結果を出すことの喜びを学ぶ非常に貴重な経験でした。

この陸上部に入部していなかったら、ここまで濃い中学生活をすることはたぶんできなかったと思います。

高校時代

高校は、地元の公立の進学校に進みました。

スポーツ推薦も、オファーがあり、少しは考えましたが、スポーツで将来食べていける自信がなく、勉強する道を選びました。しかし、部活は続け、最小の努力で最大の成果を出せるよう工夫し、強豪校のライバルに勝てるようできる限り勉強と両立できるようにしていました。

大学受験に関しては、田舎の進学校あるあるかもですが、高校の方針として、国立大学信仰と現役絶対主義がありました。

つまり、文系であるなら現役で、東大、京大、阪大などの旧帝大に進学することが美徳と考えられていたのです。

そのため、もれなく僕も旧帝大を目指し、部活を引退した6月頃から大学受験を本格的に始めました。

大学受験本番は、センター試験(現共通試験)は、あまりよくなかったものの、二次試験で挽回でき、無事現役で合格することができました。

正直、大学受験に合格したことで人生勝ったと思ってしまっていた僕は、とんだ甘ちゃんでした…。お恥ずかしいことにそれに気づくのは、20歳を超えてからです…。

大学時代

(イメージ画像)

今思えば、大学1,2回生時は、遊びほうけてばかりで時間を浪費してしまったと少し後悔しています。

成績は、お世辞にも良いとは言えず、サークルのメンバーとばか騒ぎをする毎日。まぁ楽しかったですけどね。笑

しかし、20歳になったときに「金持ち父さん、貧乏父さん」という書籍に本屋で出会い、価値観が大きく変わりました。

これまでは、勉強して一流大学に入り、大企業に就職することでお金持ちになれると思っていましたが、そこには、会社からの給料だけではお金持ちになれず、個人として稼ぐことが大事であるといような内容が書かれており、世間知らずで未熟者の僕にとっては衝撃的な内容でした。

それからの行動は早かったです。

経済の勉強は大学でも少しはしていたので、その知識を活かそうと、証券口座を開設し、バイト代で稼いだ数十万円で株式投資を始めます。今思うと、安直過ぎますが。。

当時の投資スタイルは、日本の個別株のスイングトレードです。

そこで運良く数十万円の利益を得ました。バイトなど給料以外で、自分の知恵でお金を得る体験は、新鮮で、すごくうれしかったですね。

しかし、現物株の資産上昇スピードに物足りなさを感じ、レバレッジをかけることで少ない資金で、大金を扱うことができるFXを始めます。

トレードスタイルは、テクニカル分析を主体とし、デイトレ~スイングトレードを主にしていました。通貨はドル円、ユーロドル、ユーロ円です。

資産は順調に増えていきましたが、ストレスは半端ではなかったです。

確度の高いポジションにも関わらず、いざ寝ようとすると寝れなかったり、寝られたとしても睡眠が浅かったり、ずっとチャートが気になり、生活に支障をきたしつつありました。笑

大学3年生になり、就活を意識する段階で、ひとまずトレードは、休止することにしました。就活をするという建前ができたおかげでなんとか身体が崩壊せずに済んだと少なからず思います。笑

就活は、日系大手を目指す層としては、早期(大学3回生の4月)から始め、様々な企業のインターンに参加しました。インターン参加していたことで、その会社の雰囲気をざっくり知れましたし、早期優遇にも乗れて内定を量産する要因となりました。受ける企業もホワイトそうな大企業を中心に受けていました。

というのも、自分自身バリバリ働きたいというような意欲も体力もなかったですし、就活中に某エリート窓際族様との出会いが、そういった道を選ぶことを後押ししてくれました。

就活中の僕が導き出した結論が、“ホワイト大企業でゆるゆる働き、副業で稼ぎつつ、投資し、ある程度の資産で労働から上がる”です。

最終的には、現在の勤務先(金融)、五大商社、インフラ企業の内定先で入社先に迷いましたが、以上の価値観や配属リスク等から今の勤務先を選択しました。

入社し、半年が経つ今でも会社の選択においては、間違っていなかったと思います。

就活後は、主に低レバスイングスタイルで、トレードを再開し、相場の運も良く、在学中に約1,500万円の資産を築くことができました。

最後に

以上が、僕のざっくりした半生となります。

また、詳しい内容は別の記事に書けたらいいなと思います。

最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。

これから、“ホワイト大企業でゆるゆる働き、副業で稼ぎつつ、投資し、FIREする”ことについて発信していきます。

定期的に記事を更新していくので、よろしくお願いします!

関連コンテンツ

  1. この記事へのコメントはありません。